財団法人 人工知能研究振興財団発行 AI Information, vol.23, 1997

AIトピック

仮想現実と人工知能

中京大学 情報科学部  教授 長谷川純一 助手 宮崎慎也

  1. はじめに
  2. 仮想現実(人工現実)という言葉が我々の耳に届いてから久しい。人工知能と仮想現実。これら2つが、ともに計算機によって人工的に作られるものであることは間違いないが、人工知能 (AI) における計算機の役割が人間の内部的な論理思考の模倣であるのに対し、仮想現実 (VR) では計算機は人間と外界との様々なコミュニケーション環境を人工的に作り出す役割を果たす。

    技術の進歩に伴い、一般にソフトウェアは複雑になり、計算に要する時間は増加する傾向にある。しかし、これは VR の開発では、ある意味で許されない。AI では推論に十分に時間をかけてでも、満足のいく結果を得ようとする場合が多いが、VR ではリアルタイム性や対話性が重視されるため複雑で処理時間のかかるソフトウェアは敬遠されるのである。以前 AI が計算機に対する我々の認識を大きく変えたのと同じか、それ以上の可能性を VR が秘めているであろうことは誰もが感じていることであるが、このリアルタイム処理という障壁がある故に、実現が容易ではないことも周知の事実である。

  3. 仮想現実感技術の現状
  4. 上記のような制約の中で仮想現実感の技術が実用的な意味で活躍できたのは、唯一アミューズメントの分野であろう。今まで高額なグラフィックスワークステーションに搭載されていたグラフィックス用ハードウェアが今では安価な一般向けゲーム機に搭載されている。テクスチャマッピングされたポリゴンのリアルタイム描画は、かつてはハイエンドのマシンにのみ許されていたが、この処理をちっぽけなゲーム機がやってのける時代になった。また、ゲームの分野では精度や信頼性に対する要求はさほど厳しくないため、H.M.D. (Head Mounted Display) やデータグローブの要素も手軽に取り入れられ、VRはこの分野に実用的な意味で革新的な変化をもたらし、その地位を不動ものにしている。これに対し、精度と信頼性を要求される産業や医学向けの VR システムとなると、処理の複雑化とともに進展の速度も鈍り、一時のブームを過ぎた今となっては真新しさに欠ける。

    このように可能性は見えるが実用性が今一つの産業向け VR システムの中で、現在衆目を集めているものの一つに CAVE (Cave Automatic Virtual Environment) [1] がある。CAVE は1991年に米国イリノイ大学で考え出された VR システムで、立方体の部屋の、前方および左右の壁面に設置された大型スクリーンに背面から映像を投影し、更に頭上前方から床面に映像を投影するものである。このため体験者は立方体の6面の壁のうち4面に映し出される立体映像で取り囲まれる形となり、仮想空間への十分な没入感を得ることができる(図1)。従来からある立体映像の投影方法の一つに頭部搭載型映像表示装置(H.M.D.)があるが、これは一見没入感が大きいように思えて、実際には視野角がそれ程大きくない。また、画像の解像度も低いため、思ったほど効果が得られない上に、装着の手間は避けられないといった欠点がある。一方、CAVEのデメリットは、何と言っても高価なシステムになってしまうことである。これは、投影スクリーンの数と同数の高価なプロジェクターと、リアルタイム処理のために更に同数のグラフィックスワークステーションを用意する必要があるからである。しかし、このように高価なシステムであるにも関わらず、米国の多くの企業が社員の教育や現場の訓練に CAVE を導入している事実をみると、産業界のこのシステムにかける期待がいかに大きいかが伺える。

    図1 CAVEシステムの代表例、キャタピラー社のブルドーザー運転シミュレータ(Silicon Graphics社発行 IRIS Universe第36号より)

  5. デザインへの応用
  6. 仮想現実感技術の応用分野の一つにデザインがある。仮想空間でデザインができるようになれば、木や粘土などを使って実体モデルを作成する必要がなくなり、時間と費用を大幅に節約できる。特に、デザインプロセスの早期段階では、実体モデルではなくアイデアスケッチと呼ばれる2次元的なスケッチを多数作成して試行錯誤を行うが、これを十分に行えることが良いデザインの製品を作り出す鍵ともいえる。仮想空間デザインにより、このアイデアスケッチを空間的なイメージで成し得る手段を提供することができれば、現在あるデザインのスタイルに大きな変化をもたらすのではないだろうか。

    このように仮想空間内でCGの立体映像により製品の形状やそのデザインの与える印象の検討、評価を行えるシステムを実用的なレベルで実現するためには多くの課題が残されているが、そのひとつに立体表示される仮想物体の仮想空間内における位置や大きさを人間が正確に知覚できるかという問題がある。この問題は更に以下のような問題に細分化される。

    1. 観測者の視点位置を精度良く得られるか(ヘッドトラッキングが精度よく得られるか)
    2. 観測者の視点位置から見た仮想物体の立体視映像が精度良く生成できるか
    3. 立体視映像の中の仮想物体を人間が正しい位置に知覚できるか

    a.、b.については、位置センサーや投影装置の精度の問題であるが、比較的狭い空間内のデザインであれば、現在の技術(補正処理等)で十分な精度を得ることができる。これに対し、c.については、人間の視覚機能に依存する問題なので、人間の視覚機能が十分明らかにされていない現在では、様々な種類の実験、調査が必要となるであろう。その中でも、人間が視差情報のみでどれほど正しく奥行きを知覚できるかという問題は興味深く、それに関する実験結果等が多く報告されている。

    我々が現在行っている自動車内装のための仮想デザインシステムの開発[2]においてもこの問題は避けて通れない。そこで、図2 のような装置を用いて、運転席に座って車内を見渡した場合を想定した実物体と仮想物体の奥行き知覚の違いについて実験を行った。なお、スクリーンに十分近い位置に視点がある場合は、上記の CAVE のようにあえて4つの投影面を使う必要はなく、1つの投影面で十分没入間を得ることができるので、ここでの実験も1つの投影スクリーンを用いている。立体視映像は右目用と左目用の2枚のCG画像を交互に生成し、それに液晶シャッター式眼鏡等を同期させることにより得られるが、今回は視差情報のみにたよって奥行きを知覚するように、暗幕で覆われた暗室内で立体的に影付けされた白い円錐を提示することとした。

    車内デザインでは、観察者の視点から 1m ぐらいの範囲で数ミリ程度の誤差に納まれば十分デザインが可能であると考え、それを目標とした補正方法の実現を目指している。今回の実験では、

    1. 実物体の知覚が上記の範囲内に納まっていること。
    2. 仮想物体においては実物体の場合の三倍程度の曖昧さで奥行きを知覚できること。
    3. 仮想物体の知覚距離の曖昧さは実物体の場合と同程度まで補正することが可能であること。

    などがわかり、今後の開発へ向けて重要な手がかりが得られたと思われる。

    図2 立体視の実験装置

    図3 自動車内装デザインシステム

  7. おわりに
  8. VR技術は、様々な分野の技術が結合して初めて実現できるものである。現在は、個別の分野での研究に留まっているが、それらの成果が統合されるとき、VRの世界はより一層大きく進展するであろう。

【参考文献】

  1. Cruz-Neira他, Surround-Screen Projection-Based Virtual Reality: The Design and Implementation of the CAVE, SIGGRAPH 93 Proc., pp. 135-142, 1993
  2. 吉田他, 自動車の内装デザインのための立体視画像の物体位置把握に関する一考察, 情処学GCAD研究報告, 83-4, pp.25-30, 1996